運動音痴と仕事のできない人間はいじめのターゲットになる

ストレスだとか、うつ病だとか調べていくうちに自己肯定感という言葉を何度か目にするようになりました。私の自己肯定感というのは限りなくゼロに近いです。

自己肯定感というのは周りから評価されて実感するのものではありませんか?

昔、小学生の頃の体育の時間。サッカーの試合でキーパー役の私はことごとくゴールを守れませんでした。そのことでチームメイトからは非難の嵐。それはそれは一致団結したかのような、見事に足並みのそろった文句でございました。今になって考えると、そもそもキーパーのところまで攻め込まれるっていうのはキーパーではなく、他の守備の問題なんじゃねっと考える余裕もあるのですが、当時は自分が悪いのだという結論しか出せませんでした。体育教師も助け船でも出してくれないかなあという思いもありましたが、アレな感じな人でして……察してください。

それから時は経ち、新卒で入った会社にて。社会に出たら誰も助けてくれないんだぞ、と教えてくれた社長がいました。数年後に会社は倒産して、自らその事を証明していただきました。けれどもサッカーの試合というのは小学生の話ですよ、誰か助けてくれったっていいではありませんか。

何の因果か、似たような体験をその約30年後に経験する事になります。転職直後のアウェイな職場。確かに私は実力不足でした。けれども教えてもらっていない事は入社して何日・何か月経とうがわかりませんし、昨日今日入った新人と同じ給料だったとしても、それは新人の私ではなく、管理職とかの上の立場の人間に言うべきことでしょう。さすがに歳をとっただけあって、少しはこういった理不尽な文句を受け流す能力みたいなものは身に着けたようです。この手の残念な人間は要するに、私のような立場・気の弱い人間にきつくあたってウップンを晴らしたいだけなのです。

仕事ができない事も、体育が駄目な音頭音痴も、それだけで自己肯定感を下げるいじめのターゲットになってしまいます。いじめとかパワハラマスゴミ、失礼、マスコミに取り上げれられるようになって久しいです。しかし人間の本質がそう簡単に変わるとは到底思えません。より陰湿に、周りからはわかりづらい形で行われている現状があります。では一体、そのようないじめを受けた側はどうすればいいのですか?

ーー逃げるしかないのではないですか? 体育の時間なら体調が悪いと言って見学する、もしくは学校を休む。会社でも同様に休む、もしくは離職する。私は離職を選びました。たかだか仕事ができないだけで、健康・人格、果ては生命まで脅かされてはたまりませんからね!